カテゴリー「登山」の記事

2019年10月 5日 (土)

★白馬・八方尾根★

★白馬・八方尾根★                                  1page_20191005112001
山に憧れる。
今にして思えば・・・
若い頃にもっと出かければ良かった。
しかし当時には余裕が無かった。
今回はリフトで高度を稼げる
八方尾根。
季節を少し間違えたが
それなりに楽しめた。
HPや動画で少し時間が掛かり
遅くなった。
良い思い出を作る事が出来た。
http://takayukikimama.web.fc2.com/R1-6Happou/newpage1.html

http://takayuki.g.dgdg.jp/sx-0-2page.html

 

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2019年9月24日 (火)

★白馬・八方尾根★

★白馬・八方尾根★                         R167happou
初めての北アルプス。
以前に室堂までは行ったが
この時は雪が多く登山は出来なかった。
今回は八方尾根を登ることは出来たが
老人には少しキツイ山道だった。
思い出に動画を作った。
この時の旅行は別にまとめる。
https://youtu.be/JnkwpHQO5VI

 

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2019年2月26日 (火)

★中山寺・梅林★

★中山寺・梅林★                                                1page
一昨日、24日に天気も良いので
トレーニングの積りで中山寺に出掛けた。
*行程は
  御殿山の大林寺を11:00頃出発
  奥の院着13:00頃
  相当にゆっくりだと思う。  
  昼食・休憩を13:30頃まで
  下り、中山寺・梅林着15:00頃
     休憩は15:30頃まで
     その後帰宅。
*これで2時間の登りも、ゆっくりなら可能である。
*夏の山行きも可能と思う。
*梅林の梅は満開ではなかったが多くの
 紅梅を見ることが出来た。

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2017年9月18日 (月)

★立山黒部アルペンルート★

★立山黒部アルペンルート★      S11Sp5110020
昨年、健康問題でキャンセルした、
室堂に行きたいとの思いが
今年は何とか無事、5月に実行出来た。     
編集に時間が掛かったがHPにアップした。Sh299111
 
http://takayuki.g.dgdg.jp/sx-0-2page.html

http://takayukikimama.web.fc2.com/H29-5HP-Tateyama/newpage1.html

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2016年6月24日 (金)

★狼は帰らず(8):完★

★狼は帰らず(8):完★          H28610
「森田勝の生と死」

 ・・・佐瀬稔・・・中公文庫

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「私の:感想:あとがき」5月25日:午後7:30

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森田が亡くなった年。

S55年は私にとって稀有な年となった。
ここからの6年間は私の一人舞台。

主役を演じた時期だった。

海外赴任を命じられて、責任のある立場に就いた。

私の意志でほぼ総てのProjctが動いた。
まず、
第2工場の建設。
第1工場の新鋭化・・・
加工工場の建設
等はほんの付け足しの様なものだった。
自動車用部品の加工工場の建設もあった。

私には、生産よりやはり、建設が面白い。

PLANTENGENEERとして幸せな数年だった。
私の最大の宝となる経験だった。

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私の登山と言うと新宿から夜行便。
3等車の長椅子の下に新聞を拡げて、先に寝てしまう。

蒸気機関車は大月、塩山、小淵沢と進む。
先には小海線がある。
大体このルートで
奥秩父に出掛けた。
後は丹沢三山。
金もなかった。きっかけもなかったので、

アルプスには行っていない。
「単独行」に惹かれて・・・雁坂峠、大菩薩峠・・・

が最高の思い出。

それでもA君とは時々同行したなあー。

・・・卒業してサラリーマンになると
すっかり忘れていたが会社で1年先輩に

一橋大学の登山部の人が居た。即尊敬した。
当時の好景気に押されて大學の登山部は

海外遠征で世間を賑わせた。
京大山岳部の西堀栄三郎や今西錦司は時の顔の様だった。

そんな中、森田の様に職を転々としながら
登ることに執念を燃やす男達もいた。

同時代にこんな生き方をした人が居た・・・

と言うだけで懐かしく、自分の青春がなつかしい。

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2016年6月16日 (木)

★狼は帰らず(7)★

★狼は帰らず(7)★        H28610_2
「森田勝の生と死」

 ・・・佐瀬稔・・・中公文庫

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『あとがき』

S55年6月私はシャモニーとグリンデルワルトを訪問。

遭難から4ヶ月の頃。

昭和55年10月・・・佐瀬稔。
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『解説』

森田の死から18年、登山界も様変わり。

ヒマラヤ登山はレジャー化、低俗化の一途。

中高年が百名山ブームにのって、席巻する。

森田も長谷川も山に逝った。今の登山界には彼らが生きた情熱はない。

そのため却って強烈な印象を持って迫ってくる。

愛すべきアウトロー、森田勝!

「遠山成樹」

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もう青春時代には戻れない。
山登りも出来そうにない。
だけど・・・スイスにはもう一度行って見たい。
ツェルマット・・・
クライネシャデック、グリンデルワルト
それにシャモニーも!!

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★狼は帰らず(6)★

★狼は帰らず(6)★        H28610
「森田勝の生と死」

 ・・・佐瀬稔・・・中公文庫

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『8:グランド・ジョラス』

*石井スポーツを本拠に53年1月
「森田勝・登山技術専門学校」を開く。

*53年3月、長谷川恒男、アイガー北壁冬期単独登攀、世界初。

*「俺はグランド・ジョラスに行く」

*12月8日森田はシャモニーに着いた。1月から1ヶ月天候悪し。

*2月になって長谷川がシャモニーに到着。

*2月18日 森田はレシュ小屋を出る。ウオーカー側稜の取り付き・・・

  午前8時半、高度差1200m。

*日本人の冬期初登攀は1970年、小西・星野・植村直己・高久・堀口

 今年12月22日~1月1日頂上。凍傷で6人で21本の指を失った。

*S54年2月18日、晴天。森田はウオーカー側稜に取り付いた。

 森田はレビュファ・クラックの下に荷物を固定し、登りはじめた。

*頭上にスカイフックを掛ける・・・外れた・・・「落ちる」50m落ちた。

 意識不明4時間。

*2月19日の夜が明けた。晴れ。テラス迄の25mが生死の境目だった。

 左足と左手が全く使えない。6時間か7時間か・・・

午後遅く森田はとうとうテラスにたどり着いた。

*20日朝、救援・・・森田はヘリに乗った。

*2月25日 午前4時、長谷川はレショ小屋を出る・・・3月4日頂上。

  世界ではじめて3つの壁の冬期単独登攀者が誕生。

*グランド・ジョラスから帰った後、森田家には平和が戻ったように見えた。

*55年2月。森田が村上を連れてシャモニーに現れた。

*2月19日、晴れ。森田、村上。午前8時半。ウオーカー側稜基部到着。

 20日晴れ。レビュファ・クラックを抜け、
  氷のトラバース、氷のチムニーを抜けた。

 バルコンに達した。H286113
 21日。夕方から天候、下り坂。

 22日。夜半から猛吹雪。

 23日。雪から曇り。コルでビバーク。

 24日。三角雪田直下の岩稜に森田を確認。   H286112
 25日。丹沢山岳会の堀内のメモ。

     壁上部を見るも人影なし。
          左を見た時に雪の上に黒い点が見える。
         二人は約800m転落。即死。

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2016年6月14日 (火)

★狼は帰らず(5)★

★狼は帰らず(5)★          H28610
「森田勝の生と死」

 ・・・佐瀬稔・・・中公文庫

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『7:エベレスト。K2』

昭和45年3月横浜、登山用具店「ジャヌー」で長谷川恒男に逢う。

47年第2次RCCエベレスト登山隊。

48年4月初旬先発隊出発、律子への熱い手紙の数々

  10月27日東南稜からの登頂は成功

  しかし朝9時森田は・・・高度8380m到達

  中断・・・南壁を断念

*49年夏・・・律子とグリンデルワルトの教会で結婚式を挙げる

*49年12月・・・K2登山、第1回打ち合わせ

*50年10月・・・パキスタン政府に登山申請

*51年1月・・・許可

*50年12月・・・森田豊 誕生

*社会人の寄せ集めの隊・・・最初のサミッター以外の登頂など
彼には意味がなかった。

 C5から下山。

 予想された通り第1次隊は失敗。第2次隊がサミッターになった。

 ここに森田が残っていれば!!

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2016年6月13日 (月)

★狼は帰らず(4)★

H28610★狼は帰らず(4)★ 

「森田勝の生と死」

 ・・・佐瀬稔・・・中公文庫

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『6:アイガー北壁』

インターラーケン、ユングフラウ(4158m)

グリンデルワルト・・・視界にはアイガー(3970m)

平和で安らかな谷・・・日本人の青春の記憶

1910年夏・・・加賀正太郎・・・ユングフラウ

1914年・・・ 辻村伊助・・・ユングフラウ;メンヒ

1921年・・・槇有恒 ・・・アイガー東山稜初登攀

1938年・・・・田口一郎、二郎・・・シュレックホルン北壁初登

  「日本の雇い主は時がたつうちに、友人となって行った」

 ホテル「ベルビュー」 エミール・シュトイリー

1965年(S40年)日本人としてはじめてマッターホルン北壁

 芳野満彦・・・「1963年7月6日。芳野満彦、
 ここに40日間滞在する。
目的はアイガーの北壁の登攀だ」

1965年8月21日の頁・・・

 「おそらく、グリンデルワルトには・・・だけど、もう生涯、
   この地もエミールの顔も
見ることはないだろう。
   わが親愛なる岳友、渡部恒明君がアイガー北壁に
逝き、

  今は何も語りたくない・・・・グリンデルワルトに眠れ。
   いつもそばにいる。
 芳野満彦」

・・・そのグリンデルワルトに森田が7,8年遅れてやって来た。

森田の前に木村憲司が現れた。昭和21年生まれ。

S44年11月29日・・・羽田を発った。

赤松は森田と言う人物がすっかり気に入ってしまった。

1月18日アイガーグレッチャーから北壁

トップは木村、セカンド岡部、森田は中央。

24日午後3時頃。木村が落ちた。数メートル下の岩に叩きつけられる。

救助隊の出動。翌日午後2時頂上。大きな借金が残った。

・・・森田は恋をしていた・・・

律子はS25年生まれ。幼稚園の先生。森田は35歳になっていた。
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「やはり・・・芳野満彦も来ていたんだ!」

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2016年6月12日 (日)

★狼は帰らず(3)★

★狼は帰らず(3)★       H28610
「森田勝の生と死」
 ・・・佐瀬稔・・・中公文庫
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『2:ホキ勝』
東京緑山岳会、谷川岳の歴史、緑の顔パス、
昭和27年 槇有恒、松方三郎、・・・マナスル登山隊・・・踏査隊
昭和31年 8125m登頂・・・登山ブーム
昭和34年 緑山岳会に森田勝入会
昭和12年19日生まれ 家庭事情で苦労の幼少期
   「ホキる」「ホキ勝」と呼ばれる
 最初のパートナー・・・「青木敏」(5歳若い)
*************
『3:衝立岩・正面壁』
森田・・・不安定な職場
緑山岳会・会長・寺田甲子男・・・
創立30周年記念・・・昭和36年
森田の変貌・・・6年後・・・44年1月 緑退会。
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『4:アコンカグア』
昭和39年冬、創立25周年、東京緑山岳会・・・記念行事
*昭和38年芳野満彦、アイガー北壁に挑戦
 ヨーロッパ・アルピニスト達の著書が広く読まれる。
*アコンカグア遠征の計画・・・青木敏・中心・・・
  標高4200mBC・・・6960m登上
 
 南壁は垂直の氷・岸壁
 ・・・アコンカグアに不参加・・・報復・・・・滝沢第三スラブ
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『5:烏帽子・奥壁・大氷柱』
42年2月27日夜・・・寺田甲子男の自宅に電話
「森田さんが滝沢第三スラブの初登攀」
 長老たちに出過ぎた・・・無邪気な自慢話をするので
 
「黙れ!若造!」で殴られた。
 
42年山岳同志会隊・・・マッターホルン北壁の登攀に成功
 
岩沢の心は森田から離れて行く。
 
11月下旬から12月上旬にかけて・・・
 一の倉沢・烏帽子・奥壁に高さ150m
ほどの大氷柱が出現する。
 
挑戦したが・・・断念する。
 
次のパートナー「木村憲司」
 

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