カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2009年12月25日 (金)

★追悼 日高敏隆さん★

★追悼 日高敏隆さん★

日高さんが亡くなられた。H211225
以前にもブログに書いたが
日高さんには 1度講演を
お聞きした
だけ。
しかしお話が大変愉快な動物学の
お話だったので頭に残った。

その後はマスコミに出るたびに
興味深く読ませて頂いた。

今、丁度未来の地球・日本を
考えるべき時期に来ている。

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(H21年12月24日:
朝日新聞・夕刊)

:未来の環境と向き合った:

:嘉田・滋賀県知事に聞く:

動物行動学を日本に広め、生態の面白さをわかりやすいエッセ-で紹介した京都大名誉教授の日高敏隆さんが亡くなった。

最近は環境問題に関する活動も多く、科学技術に頼らない「未来可能性」を提唱していた。

「環境と主体的にかかわる考え方に、いつも共鳴していた」と語る環境学者の嘉田由紀子・

滋賀県知事に、日高さんの遺した思想を聞いた。

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11月23日に悲報を聞き、心に大きな穴があいたようなショックでした。私が京大の学生だった1970年ごろ、日高さんはまだ京大にいなかった。知ったのは環境学の古典と言えるユクスキュルの著作「生物から見た世界」の訳。人間はじめ生き物はすべて、主体的な意思を持って周りの事物とかかわるという考えです。

例えば、水を評価するのに生物化学的酸素要求量(BOD)などが使われる。

でも決して科学的な基準だけではない。漁をする人、洗い物をする人、アユやフナ、

それぞれの主体で水の価値は違ってくる。私の研究テーマと一致する思想で、日高さんに

あこがれていました。

出会いは約20年前。琵琶湖研究所にいた私は民間財団の市民研究コンクールの審査員となり、委員長が日高さん。東京から京都まで帰りの新幹線で、いつも日高さんと2人。

買い込んだウイスキーのミニボトル2本をちびちび飲みながら、いろいろな話をしました。

92年秋、やはり新幹線での帰りでした。「間もなく京大を退官ですよね」と聞いたら、「就職口がないねん」。引く手あまたと思っていたのでびっくりした一方で、ある考えが頭に浮かびました。開校が迫っていた滋賀県立大の学長が、まだ決まっていなかったんです。家にあった日高さんの本を手当たり次第に抱えて、知事室に故・稲葉稔知事を訪ね、「すごい人です。学長候補にどうでしょう」と直談判しました。日高さんが初代学長になった裏話です。大学開設まで、一緒にお昼に行くと、決まって中華チェーン店で注文は焼き飯。飾らない人でした。

学長当時の座談会で、「琵琶湖がなくなったら」と聞いたことがあります。動物学者として

生き物が困ると答えるかと思ったら、「まず県民はストレスを受けて精神的におかしくなる」と言われた。環境と精神をセットでとらえる思想の表れです。

自ら高校を回って県立大への受験を呼びかける一方で、「人づくりという言葉はおかしい。人は自ら育つものだ」。また、科学者でありながら常に科学に疑いの目を持っていた。言い換えれば近代工業文明に対する疑いです。それが「未来可能性」という言葉に込められている。

「持続可能性」は「今」を肯定し、どこかで誰かが決めた感じで当事者意識が薄い。「未来可能性」は「未来」のためにどうするか、と主体的なスタンスです。

生きるためには水も大地も原点であり、事物が持つ本来の価値を自らの力で未来に生かそう、と言う考えです。

私はこれを「もったいない」と言い換えました。単なる節約でなく、事物が持つ本来の価値=「もったい」を失うことが「もったいない」。子どもたちが自ら育つ力を引き出し、琵琶湖の保全は人と環境をセットで考えていく。

「もったいない」は、日高さんの未来可能性に通じる理念です。琵琶湖の未来を考える時、地球温暖化問題は避けて通れない。子どもや若者が幸せを感じる未来をどう築いていくのか。日高さんの遺した「未来可能性」を生かした施策を探っていきたいと思います。

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2009年12月23日 (水)

★H21年・園芸:アップロード★

★H21年・園芸:アップロード★
今年の園芸・育苗の記録・写真をアップした。
H21年カンパニュラ開花
 http://kimama2.onushi.com/H21Camphtml/index-2.htm
H21年パンジー開花
 http://kimama2.onushi.com/H21Panjihtml/index-2.htm
H21年ペチュニア開花
 http://kimama2.onushi.com/H21Pechuhtml/index-2.htm

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2009年12月22日 (火)

★スーパー銭湯:ぬくもり★

★スーパー銭湯:ぬくもり★

昨日久し振りにスーパー銭湯に出かけた。
大奥はかなり頻繁に利用しているが

私はご無沙汰していた。
彼女によるとお陰で新陳代謝がよくなり体温が1℃は
間違いなくアップしたとの事。ここのところ毎日寒い、ゞと泣き言を云うものだから一緒に出かけよう・・・
と云う事になった。

掛け湯をして湯船につかると手足の先から痺れるような感じになる。この部分の体温が低かったのだろう。体温が徐々に温まる。段々身体が温まるのが判る。

のぼせるようになると湯船の縁に腰掛けて頭を冷やす。

15分もすると汗が出てくる。ジェットバスの様子を見ると満席。と云っても2槽しかない。しばらく桶風呂に入る。空いたのでジェットバスに入り背中をマッサージする。肩、脊髄、腰椎など。あまり凝っていないが気持ちが好い。

その後塩サウナで汗を流す。じわっと皮膚から汗が滲み出る。身体を洗って再度入浴。出口で体重を計ると59kg。汗で少し体重が減った。最近の平均は60kgから少し少ない程度。身体は温まった。しばらくは火照った状態が続いた。毎週続けると新陳代謝が良くなるかも知れない。

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2009年12月20日 (日)

★TV:不毛地帯:第十話★

★TV:不毛地帯:第十話★
今回も海外資本の導入の話。H2112201
しかし壱岐と千里の話にかなりの時間を使っている。
http://wwwz.fujitv.co.jp/fumouchitai/story/index.html#contents
*******************
アメリカ近畿商事の社長に就任した壹岐正(唐沢寿明)は、経営が悪化していた千代田自動車と、米自動車産業ビッグ3の一角、フォーク社との提携を画策した。交渉は困難を極めたが、陸軍士官学校の同期でもある韓国の光星物産会長・李錫源(榎木孝明)の助力を得た壹岐は、フォーク会長(アレキサンダー・バリ)との会談に成功し、千代田自動車との提携に関する委任状を取り付ける。
社長の大門一三(原田芳雄)に委任状を届けるため、帰国することになった壹岐は、途中、韓国に立ち寄り、李のもとを訪れた。李の仲介により、崔大統領(鶴田忍)に会う機会を得た壹岐は、ソウルで地下鉄の敷設計画があり、日本の援助を必要としていることを知る。
帰国した壹岐は、副社長の里井達也(岸辺一徳)を訪ね、千代田自動車とフォーク社の提携に際し、連絡に行き違いがあったことを謝罪すると、崔大統領から得た韓国の地下鉄計画の情報を伝える。それは、里井抜きで提携話を進めたことに対する、壹岐からの手土産だった。里井は、その話に飛びつき、自ら大門に伝えて対策を立てる、と答える。その際、里井は、副社長のひとり、一丸松次郎(山田明郷)が次期社長の座を狙って積極的に派閥作りを進めている、と切り出し、壹岐に意見を求めた。それに対して壹岐は、次期社長は、大門を長年支えてきた里井をおいて他には考えられない、と答える。
東京本社に顔を出した壹岐は、一丸に呼び止められる。一丸は、計画が差し戻された韓国の合繊プラントが、壹岐の交渉のおかげで再検討されることになり、喜んでいた。別れ際、一丸は、里井のことを持ち出し、壹岐が東京に戻ったら関連会社に出すつもりでいるから気をつけたほうがいい、と忠告する。
その夜、壹岐は、銀座で開かれていた秋津千里(小雪)の個展に顔を出す。壹岐が帰国した日に、ちょうど千里から案内状が届いたのだ。2年ぶりの再会を果たしたふたりは、互いに目に見えない結びつきのようなものを感じていた。そこで壹岐は、千里にとって一番思い入れが強い作品だという青磁の壺を譲ってもらう約束をする。
****************H2112202
数週間後、ニューヨークに千里がやってきた。食事をともにし、ダンスを踊る壹岐と千里。ふたりは、離れがたい思いを抑え、再会を約束して別れた。
別の日、壹岐は、フォーク社との交渉に先がけてデトロイトを訪れ、フォーク側から出資比率を33.4%まで下げてもいいという了承を得る。
約束通り千里と再会した壹岐は、ニューヨークのレストランで食事をともにする。千里は、美術館だけでなく、アーリントン墓地などを見学してきたのだという。
店を出た壹岐は、もう少し話がしたい、という千里の願いを聞き入れ、彼女をアパートに案内する。そこでふたりは、遂に結ばれる。
   

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2009年12月14日 (月)

★TV:不毛地帯:第九話★

★TV:不毛地帯:第九話★
自動車業界に外資を導入する・・・
話が淡々とすすむ。
http://wwwz.fujitv.co.jp/fumouchitai/story/index.html#contents
壹岐正(唐沢寿明)は、             H211214
妻の佳子(和久井映見)を事故で
失った悲しみから逃れるかのように、
ひたすら仕事に没頭した。
近畿商事社長の大門一三(原田芳雄)は、
そんな壹岐の心情を察し、
アメリカ近畿商事の社長としてニューヨークに駐在してはどうか、と持ちかける。
一方、近畿商事が輸出代理店を務めていた千代田自動車は、社運をかけて開発した新車115タイガーを販売したものの、アイチ自動車のカロナや日新自動車のレッドバードといったライバル車に惨敗してしまう。しかも、近畿商事副社長の里井達也(岸部一徳)が中心となって合併話を進めていた富国自動車側からは、合併は白紙に戻したいとの申し出もあったのだ。里井は、自主独立路線も合併の道も断たれた千代田自動車との取引にはもはや何のメリットもないとして、手を引くべきだと大門に進言した。
千代田自動車の技術担当常務・小牧徹也(小野武彦)は、千代田自動車はもう終わりだ、と壹岐に告げる。他社がより低価格の対抗車をぶつけてきたのは、小出宏(松重豊)がタイガーの情報を漏らしたせいだ――小牧はそういって涙を流した。
ニューヨーク行きを決心した壹岐は、交換条件としてひとつだけやりたい仕事がある、と大門に願い出る。それは、千代田自動車と米自動車産業ビッグ3の一角、フォーク社との提携を実現させたい、というものだった。大門は、それを了承すると、自ら千代田自動車サイドやメインバンクとの交渉役を買って出て、この件は社内でも極秘扱いにするよう壹岐に命じた。その夜、壹岐は、娘の直子(多部未華子)にニューヨーク赴任の話を伝える。すると直子も話したいことがあるという。そこで直子は、鮫島辰三(遠藤憲一)の息子・倫敦(石田卓也)と結婚したい、と切り出す。直子と倫敦は、鮫島からも結婚を反対されていた。だが、直子の決心が固いことを知った壹岐は、倫敦との結婚を許す。
****************
壹岐からの報告を受けた大門は大喜びだった。兵頭や不破も、壹岐たちが1回目の交渉でフォークの委任状をとりつけたことに驚きを隠せなかった。が、ガッツポーズをして喜んでいた兵頭たちの前には、里井の姿があり…。
壹岐は、里井に気づかれたことを兵頭から教えられる。
紅子は、壹岐をののしると、千里のことが好きなら男らしく結婚してあげるべきだ、と言い放った。そこで紅子は、千里が婚約を解消したことを壹岐に告げ…。
****************

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2009年12月12日 (土)

★2009:夕日ヶ浦:五色浜荘★

★2009:夕日ヶ浦:五色浜荘★
今年も例年の通り、夕日ヶ浦に出かけた。
天候が気になったが雪の心配はなかった。
若狭・舞鶴道の西紀・春日を経由して和田山まで。
お昼過ぎに豊岡着。
親戚の方と昼食会。お互いに古希を過ぎて、
そろそろ行く末の事が気になる年齢。
その様なことに話題が集中する。
その後、久美浜→網野方面に入り今年は迷わず到着した。
久美浜の近くの酒蔵「木下酒造」 Spc090001
以前から気になっていたが
今回初めて立ち寄った。
こじんまりした酒蔵のようで、HPで見ても派手さはない。
搾りたての生酒を1本購入した。
「福袋」とかいて「ふくろ」とやませるとの
娘さんの話。
味はあっさりで「純米大吟醸」の  Spc090003
ほのかな香りがする。
原料は「五百万石」、精米は60%の様だ。
夕日ヶ浦への道中の「蟹の販売店」や
「土産物屋」がひっそりとしている。
ウイークデイのせいかとも思ったが民宿のご主人も「今年は大変だ!団体さんが来てくれない!」とぼやいていた。景気が良くないのと、インフルエンザの影響まであるそうだ。
いつもは良く見る観光バスの姿が全く見当たらなかった。
「花ゆうみ」の温泉で温まり、           Spc090029_2
夕食・蟹ずくしを頂いた。
いつものように蟹と刺身で満腹するが
どうも蟹の味・品質が落ちている。
私が風邪気味だったので舌の感覚が
普通じゃなかった・・・のだと、
大奥が云うのだが・・・
長年お世話になった民宿だが
来年は趣を変えて見ようかとも思う。
次の日は朝、ゆっくり出発して、         Spc090030
#426で但東町のシルク温泉に寄り道。
さらに昼食に「但熊」に立ち寄り
美味な地玉子を
たくさん頂いた。  Spc090032



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   Spc100057

   


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★獺祭:TV放映★

★獺祭:TV放映★H211212
偶然に獺祭の酒を飲み
興味を持った。
その後、メルマガで
今日BS6で放送があるのを
知り1時間放映を見た。
桜井博志 社長の人格に興味がある。
20年ほど前に経営を任された・・・
との事だがそれ以前は
どのような経歴の人なかなー?
検索すると
http://www.yama-kei.com/pdf/kigyou_59_asahishuzou.pdf
「旭酒造」の詳しい紹介が記載されていた。
この中に「現在の社長、桜井博志氏は
大学卒業後、他業界で営業職として働いていたが、
2代目の父が他界した昭和59年、3代目として
家業を受け継いだ」とある。
品質管理の手法が取り入れられ特に工場管理の
エッセンスである「見える管理」の導入や
マーケット戦略が優れているので、多分
製造業の先端企業の営業を担当されていたのだろう。
放送の中で創業当時のブランドが「旭富士」だった・・・
との事だがこれではごく普通・平凡で地方の地酒で
埋もれてしまう。
「ダッサイ」は由来・文字・語感もなかなか良いと思う。
Dで始まる言葉の語感がどのようなものか
専門家ならよくご承知!
また息子の常務がなかなかのイケメンで営業で
世界中を飛び回っているようだ。
機会があれば岩国市の酒蔵を尋ねて見たい。

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★カンパニュラ:育苗★

★カンパニュラ:育苗★       Spc120003
久し振りに撮影。
ポットに植え替えたのは
11月15~18日。
少しは大きくなったように見える。
苗の時には徒長したが根っこが 
良く発育していた。ポットの
砂を雑にしたので根つきが悪く
幾つかは萎れてしまった。Spc120005
Spc120009 Spc120010

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2009年12月11日 (金)

★丸山茂樹と遼君:舩越園子★

★丸山茂樹と遼君:舩越園子★
舩越さんのレポートにはいつも
人の感情、特に優しさが漂う。 

http://www.gogol.jp/blog/funakoshi/2009/12/post_587.html

このレポートでも同じだ・・・

20091206

『日本の感動!

久し振りに日本の大会を間近に見て、新鮮な驚きを覚えた。何年前とはっきり言えるわけではないけれど、かつては米ツアーを見て日本ツアーを見ると、正直なところ、面白いとは思えなかった。おそらくそれはコース設定の差、技術レベルの差、ギャラリーの差等々が、あまりにも大きかったからだと思う。しかし、日本ツアーの最終戦、「ゴルフ日本シリーズJTカップ」の最終日は、たくさんの感動が溢れていた』

・・・具体的にどのような感動かを
記述されている。

以前に書いた「今田竜二」の記事もそうだが、長年自分の眼でアメリカでの丸山を見ているから感動が一層深いのだろう。

H21年12月10日付け朝日新聞、夕刊「素顔のプロたち:あの日の弱さ乗り超えた」に同じ思いを詳しく述べている。

遼君の事にも触れているが丸山に対する思いの方がより深いのだろう。

「昨夏のある晴れた日の昼下がり。突然、途中棄権した丸山茂樹に理由を尋ねようと選手用駐車場へ走った。彼は無言で軽く会釈だけすると、車に飛び乗り、去って行った。それは「米ツアーの丸山」を私が見た最後の日だった。」と書いている様子から伺える。

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2009年12月 7日 (月)

★丸山茂樹・優勝:日本シリーズJT★

★丸山茂樹・優勝:日本シリーズJT★

H211271

丸山が上がりの3ホールを頑張った。

1516番で連続バーディを奪う。

17番のロングで2オン出来ずに
3オンだったが長いスライスを
ねじ込んだ。
終盤で
3連続バーディ。

18番は難しいショートだが
パーで切り抜けて、

トータル9アンダーで
ホールアウトした。  

1組後から来る金庚泰(キム・キョンテ)

が18番でバーデイを取れずにプレイオフになった。

プレーオフ4ホール目二人とも右ラフに落とした。
ここからの丸山のアプローチが

カップに寄って勝負が付いた。

プレー中の丸山の表情は緊張のあまり
引き攣っているように見えた。

それが優勝スピーチで涙を見せた。
本人が云っているが優勝会見で泣くのは初めてだろう。

10年間アメリカで苦労して云わば挫折して
帰国して、最終戦で念願の優勝を手にした。

ほんとの男泣きだった。

この試合で遼君が賞金王を決めた。
彼に関する報道が洪水のようにあるので・・・

省略する。

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