カテゴリー「書籍・雑誌」の記事

2016年8月28日 (日)

★体重:大殿筋★

★体重:大殿筋★                 H28828
暑さもそろそろ和らぐ時期になった。
トレーニングに意識を置いて、体重増加に努めたい。

最近の体調は良く特に問題はない。気温が下がると
睡眠も深く、起床の時間も徐々に遅くなって来た。
トレーニングを続けて体重の徐々に増えるのを待っている。
脂肪を増やすのではなく筋肉を増やしたい。
筋肉で最も効果的なのは・・・体内で最大の筋肉の
大殿筋を増やすこと。
先日の新聞の記事で「『おしり』を鍛えると一生歩ける!」
の紹介があった。
早速買って一覧した。
内容的には優しい、入門編の感じだ。
この程度の内容ならネットで幾らでも見ることが出来る。
しかし手元にこの本を置いておくと「トレーニング」の
意識の強化に繋がる。
「おしり」の文字を見るたびに、忘れないように続けたい。
「一ヶ月目はうまく出来なくとも良い『やり続けること』
に意味がある」・・・たしかにそうだと思う。

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2016年6月24日 (金)

★狼は帰らず(8):完★

★狼は帰らず(8):完★          H28610
「森田勝の生と死」

 ・・・佐瀬稔・・・中公文庫

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「私の:感想:あとがき」5月25日:午後7:30

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森田が亡くなった年。

S55年は私にとって稀有な年となった。
ここからの6年間は私の一人舞台。

主役を演じた時期だった。

海外赴任を命じられて、責任のある立場に就いた。

私の意志でほぼ総てのProjctが動いた。
まず、
第2工場の建設。
第1工場の新鋭化・・・
加工工場の建設
等はほんの付け足しの様なものだった。
自動車用部品の加工工場の建設もあった。

私には、生産よりやはり、建設が面白い。

PLANTENGENEERとして幸せな数年だった。
私の最大の宝となる経験だった。

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私の登山と言うと新宿から夜行便。
3等車の長椅子の下に新聞を拡げて、先に寝てしまう。

蒸気機関車は大月、塩山、小淵沢と進む。
先には小海線がある。
大体このルートで
奥秩父に出掛けた。
後は丹沢三山。
金もなかった。きっかけもなかったので、

アルプスには行っていない。
「単独行」に惹かれて・・・雁坂峠、大菩薩峠・・・

が最高の思い出。

それでもA君とは時々同行したなあー。

・・・卒業してサラリーマンになると
すっかり忘れていたが会社で1年先輩に

一橋大学の登山部の人が居た。即尊敬した。
当時の好景気に押されて大學の登山部は

海外遠征で世間を賑わせた。
京大山岳部の西堀栄三郎や今西錦司は時の顔の様だった。

そんな中、森田の様に職を転々としながら
登ることに執念を燃やす男達もいた。

同時代にこんな生き方をした人が居た・・・

と言うだけで懐かしく、自分の青春がなつかしい。

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2016年6月23日 (木)

★『無名』(5):沢木耕太郎:完★

『無名』(5):沢木耕太郎:完★      H286181
沢木耕太郎:幻冬舎

2003年9月15日 第一刷 発行

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『第9章:隅田川』

2ヶ月が過ぎた。少年の頃の父。

「少年ケニア」を毎日曜日に読んでくれた。

死の1週間前にストマックチューブを自分で抜いた。
「もういいんだよ」と言った。

最後の日、カボチャの蒸し物を「パクッ」と食べた。

それからしばらくして「ふっと死んだ」

父は静かに運命に従っただけだ。

「隅田川」」と言う文章が出て来た。

小田原町、明石町・・・立教大學、聖ロカ病院、etcがあった。

「異人さん」の家もあった。
築地界隈を調べた。歩いた。

父と見た1度だけの映画を思い出す。

「私は父の代わりにそう呟いた」

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【感想】

今回の入院で何だかぼんやり行く先が見えて来た。

つまり《腫瘍》か《肺炎》だ。
いずれ体力が落ちて行き、何かの原因で終焉を迎える。

達観と言う訳ではないが(恐れ)も(恐怖)もない。

唯そうなるだろうと思うだけ。
唯物論も精神論も哲学もない。

唯そうなるだろうと思うだけ。

宗教家も哲学者も議論はするがその実在社会で証明は出来ない。

現世の人を何とか納得させようと努力しているだけだ。

科学者・数学者は少し違う。
実証を重ねて少しづつ、世界を
拡げて行く。
しかしこれもどこまで行っても終わりはない。

宇宙の先にはマダマダ先があり、

ミクロの先には更にミクロがある。

《無》の《存在》、《存在》の《無》なのかも知れない。

だから考える必要もないし、心配する事もない。

今後、これからの時間に何が出来るか、何をしたいのか。

沢木耕太郎の様な文書や佐瀬稔の様な小説も私には書けない。

無名の人は何も残さない。

いや、色々な人生を残しているが歴史には残らない。

私も自分の楽しみを続けるがまとまった作品など出来るわけもない。
まして歴史に残るものもない。

だけど駄作でも良いので、作って行きたい。
完成することはない。

頂上に達することもない。

唯行く道端に一つづつ置いて行くだけ。

どんな色、型、思い、記録・・・
私の道は
BLOGかもしれない。

手紙でもない、文章でもない・・・
簡便な
BLOGがあってよかった。

私の行く道・・・・。
そろそろ朝の5時になる。5月27日。

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2016年6月22日 (水)

★『無名』(4):沢木耕太郎★

『無名』(4):沢木耕太郎★

沢木耕太郎:幻冬舎

2003年9月15日 第一刷 発行

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『第6章:吹きぬける』

退院した翌日から在宅看護の実地レッスン。
なぜもっと頻繁にこの家に来て、父の話を聞いて

おかなかったのだろう。

父の趣味をトレース・辿った。
回復の兆しはあったがやはり混濁している。

長期戦にヘルパーさんを頼む事にした。

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『第7章:白い布』

上の姉から「お父さん、もうだめみたい」

「そうか、間に合わなかった・・・」
駅の本屋で「葬儀の手帳」を買う。

TVを見ていて面白そうに笑い、ふっとベッドの背に深くもたれた。

「朝はあんなに元気だったのに」 葬儀の準備。

父の死に際に思い残す事はほとんどない。
できることはやった。

姉の言うとおり程のよい死・・・だった。

すでに父は畏怖する対象ではなくなっていたのだ。
反抗すべき父は存在しなくなっていた。

最後の別れ。

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『第8章:その肩の』

父の句集の編集を始めた。分類・採否。

無数の類句がある。285の句と唯一の文章。
「幼時の記憶」最後に父についての私の文章を付す。
 

「その肩の無頼のかげや懐手」(二郎)

(遺族からの手紙)
皆様にはお変りなくお過ごしのことと存じます。
十一月父が死去。89歳。

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【思い出】
いずれにしても人の最後はやって来る。

父の場合には・・・家族が集まり・・・皆に囲まれて亡くなった。

最後に声を出していたが聞き取れなかった。

酸素吸入器を付けていたから・・・
それだけが気になっている。

「!!!!!」
最後に何を言いたかったのか!

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2016年6月21日 (火)

★『無名』(3):沢木耕太郎★

『無名』(3):沢木耕太郎★     H286181
沢木耕太郎:幻冬舎

2003年9月15日 第一刷 発行

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『第3章:差し引けば』

入院2週間。
肺炎、抗生物質、叩ききれない・・・
打つ手が無くなる。
付き添い。
父の俳句・・・父の句集・・・新しい活力と思った。

「漱石忌傘雨三汀澄江堂」

傘雨・・・久保田万太郎

三汀・・・久米正雄

澄江堂・・・芥川龍之介の書斎の名前:我鬼

父の思いを辿る。
父には苛りもなく、唯・・・受け入れる静かな態度

背筋を伸ばし、正座して読書する。

私は漫画から小説を読むようになる。
父に聞けば何でも教えてくれる・・・父。

付き添いで夜の世話を実感する。
時に幻覚が起こる「男の子がいるよね!」

父の意識の混濁を認めざるを得ない。

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『第4章:酒徒』

小脳の出血場所は落ち着いている。

母も高齢、倒れたら父の気持ちはどうなる。

父の俳句を読む。
子供の頃の思い出。
「梅割り1合」を買いに行く。

父は腕の良い溶接工で独立した。
中学生だった私を連れて繁華街によく出掛けた。

句集のタイトルは・・・
付き添いの夜が明けて朝が来た。

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『第5章:竜舌蘭』

対応できる抗生物質がなくなった。自宅に帰す事にした。
院長の判断で在宅治療が出来ることになった。
幼少期の記憶の方がより鮮明。父も私もそうだ。

父も小説を一旦は書こうとしたが断念した。
自分も高校時代に短編を書くようになった。

なぜ父は俳句を始めたのだろう。
父に叱られた記憶がない。
受験・進学・就職についても
干渉しなかった。
私の旅を思った俳句も多い。

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【思い出】

父の思い出と言うとまず軍服姿を思い出す。

まず、最初は昭和16年馬場町に有った陸軍兵舎・・・
ここに入隊する父を見送りに来た。

本当に覚えているのか母に聞いたのが記憶になったのかは定かではない。

家では・・・父と母に囲まれて・・・

縁側の隅に母の鏡台があった。
左右の引き出しに小物が入っている。

父と母が小さなキャラメルをその引き出しに入れて・・・・

《どっちに入っている・・・??》と私をカラカウ・・・。

多分・・・3,4歳の頃だと思う。

次は父が満州から一時帰国した時に幼稚園に現れた時だ・・・

「兵隊さんが来た!」

戦時中は「満州からのはがき」「満州での写真」が
父の記憶になっている。

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2016年6月19日 (日)

★『無名』(2):沢木耕太郎★

『無名』(2):沢木耕太郎★           H286181
沢木耕太郎:幻冬舎

2003年9月15日 第一刷 発行

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『第1章:天の配剤』

スポーツ関係の仕事をしている。
長野冬期オリンピックの年。父が入院・脳梗塞、軽い出血。

母と姉二人。父母と下の姉が同居している。

祖父は大正・昭和の時代に通信機器会社で成功した。

父と彼の兄の大伯父。

急に仕事が暇になったのは父を「看取らせる」
「天の配剤」だったのか?

 

『第2章:生きすぎて』

肺炎が徐々に進行して、食欲減退。
点滴を抜くのが心配で交替で泊まりこみ。

錯乱妄想も時々出る。
幻覚・混濁・・・お母さんに頼る気持ちが強い。

父は最大の読書家。昔の作品、声楽家、映画で会話をする。

交替で付き添う。
58歳の時に俳句を作り始めた・・・65歳で中断した。

前年の1月、父が88歳。自己顕示欲のない人。

「もうすぐ家に帰れるかな」
「少し長く生きすぎたかもしれないな」

・・・私は少し不安になった。

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『沢木耕太郎』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E6%9C%A8%E8%80%95%E5%A4%AA%E9%83%8E

 

スポーツライター、作家。

両親と姉二人、父の兄・・・大伯父と祖父。

丁度仕事が減り、時間が出来る。「天の配剤」と感じる。

作者が父を看取る迄の家族の物語。

大伯父は大柄でおしゃれ、父は静かで文学的。
若い時には小説を書こうとして断念したり、

祖父は大正・昭和にかけて通信機器製造で大成功するが、
後に不況等で没落する。

文学的な父、その素養を受け継いでいる作者。

濃密な関係があったにも拘わらず、
それでも疎遠だったと感じている作者。

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そう言えば私の場合にも・・・仕事を辞めて、
時間が出来て父母の世話をすることが出来た。

もちろん父母との思い出はあるが
「沢木」の様な濃密な交流はなかった。

単に断片的な思い出だけだ。

父と精神的な会話をした記憶がない。

母との間には生活面での日々の思い出がある。

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2016年6月18日 (土)

★『無名』(1):沢木耕太郎★

『無名』(1)★                   H286181
沢木耕太郎:幻冬舎

2003年9月15日 第一刷 発行

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たまたまロビーの本棚にあったものを1冊借りた。

それがどうも見につまされる内容だった。

父と子の物語。年代もよく似ている。
両者の関係は自分とは大いに異なるが部分的には
似ている。
そこが気になり懐かしさを感じる。自分はどうだったか。

「その秋、私は静かに父の最期を看取った」

「無名の生、無名の死・・・その静けさと美しさ」

「父と過ごした最後の日々」
「一日一合の酒と一冊の本」
があればそれが最高の贅沢、そんな父が、

夏の終わりに脳の出血により、入院した。
混濁してゆく意識、肺炎の併発、その後住宅看護に

切り替えたのはもう秋も深まる頃だった。
秋の静けさの中に消えて行こうとする父。

無数の記憶によって甦らせようとする私。
父と過ごした最後の日々・・・

 

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13年前つまり、H15年、
私の父が1月1日に亡くなった。
・・・その年だ。

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2016年6月16日 (木)

★狼は帰らず(7)★

★狼は帰らず(7)★        H28610_2
「森田勝の生と死」

 ・・・佐瀬稔・・・中公文庫

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『あとがき』

S55年6月私はシャモニーとグリンデルワルトを訪問。

遭難から4ヶ月の頃。

昭和55年10月・・・佐瀬稔。
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『解説』

森田の死から18年、登山界も様変わり。

ヒマラヤ登山はレジャー化、低俗化の一途。

中高年が百名山ブームにのって、席巻する。

森田も長谷川も山に逝った。今の登山界には彼らが生きた情熱はない。

そのため却って強烈な印象を持って迫ってくる。

愛すべきアウトロー、森田勝!

「遠山成樹」

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もう青春時代には戻れない。
山登りも出来そうにない。
だけど・・・スイスにはもう一度行って見たい。
ツェルマット・・・
クライネシャデック、グリンデルワルト
それにシャモニーも!!

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★狼は帰らず(6)★

★狼は帰らず(6)★        H28610
「森田勝の生と死」

 ・・・佐瀬稔・・・中公文庫

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『8:グランド・ジョラス』

*石井スポーツを本拠に53年1月
「森田勝・登山技術専門学校」を開く。

*53年3月、長谷川恒男、アイガー北壁冬期単独登攀、世界初。

*「俺はグランド・ジョラスに行く」

*12月8日森田はシャモニーに着いた。1月から1ヶ月天候悪し。

*2月になって長谷川がシャモニーに到着。

*2月18日 森田はレシュ小屋を出る。ウオーカー側稜の取り付き・・・

  午前8時半、高度差1200m。

*日本人の冬期初登攀は1970年、小西・星野・植村直己・高久・堀口

 今年12月22日~1月1日頂上。凍傷で6人で21本の指を失った。

*S54年2月18日、晴天。森田はウオーカー側稜に取り付いた。

 森田はレビュファ・クラックの下に荷物を固定し、登りはじめた。

*頭上にスカイフックを掛ける・・・外れた・・・「落ちる」50m落ちた。

 意識不明4時間。

*2月19日の夜が明けた。晴れ。テラス迄の25mが生死の境目だった。

 左足と左手が全く使えない。6時間か7時間か・・・

午後遅く森田はとうとうテラスにたどり着いた。

*20日朝、救援・・・森田はヘリに乗った。

*2月25日 午前4時、長谷川はレショ小屋を出る・・・3月4日頂上。

  世界ではじめて3つの壁の冬期単独登攀者が誕生。

*グランド・ジョラスから帰った後、森田家には平和が戻ったように見えた。

*55年2月。森田が村上を連れてシャモニーに現れた。

*2月19日、晴れ。森田、村上。午前8時半。ウオーカー側稜基部到着。

 20日晴れ。レビュファ・クラックを抜け、
  氷のトラバース、氷のチムニーを抜けた。

 バルコンに達した。H286113
 21日。夕方から天候、下り坂。

 22日。夜半から猛吹雪。

 23日。雪から曇り。コルでビバーク。

 24日。三角雪田直下の岩稜に森田を確認。   H286112
 25日。丹沢山岳会の堀内のメモ。

     壁上部を見るも人影なし。
          左を見た時に雪の上に黒い点が見える。
         二人は約800m転落。即死。

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2016年6月14日 (火)

★狼は帰らず(5)★

★狼は帰らず(5)★          H28610
「森田勝の生と死」

 ・・・佐瀬稔・・・中公文庫

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『7:エベレスト。K2』

昭和45年3月横浜、登山用具店「ジャヌー」で長谷川恒男に逢う。

47年第2次RCCエベレスト登山隊。

48年4月初旬先発隊出発、律子への熱い手紙の数々

  10月27日東南稜からの登頂は成功

  しかし朝9時森田は・・・高度8380m到達

  中断・・・南壁を断念

*49年夏・・・律子とグリンデルワルトの教会で結婚式を挙げる

*49年12月・・・K2登山、第1回打ち合わせ

*50年10月・・・パキスタン政府に登山申請

*51年1月・・・許可

*50年12月・・・森田豊 誕生

*社会人の寄せ集めの隊・・・最初のサミッター以外の登頂など
彼には意味がなかった。

 C5から下山。

 予想された通り第1次隊は失敗。第2次隊がサミッターになった。

 ここに森田が残っていれば!!

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